どろらい?

小説とか絵とかを創ってる同人サークル『DrawingWriting』の小説担当が、目についた映画とか小説とか漫画とかアニメとかその他諸々な文化的生活に重要な娯楽について語る無駄グチブログです。

【ぼっち・ざ・ろっく!】 ギターヒーローに見るヒーロー性

6巻も面白かったです。

 

あのバンドのギターの人

 

2023/8/25、全世界が待望する『ぼっち・ざ・ろっく!』の6巻が発売された。

 

僕は本作の漫画(物理+電子書籍)全巻とブルーレイ全巻、あと結束バンド名義の全楽曲とアニメサントラを購入している。多分、それなりにオタクと言っていいだろう。と言っても「レスポールは? バンドスコアは?」という質問に返せる言葉は「ぐぬぬ」しかなく、妖怪としては精々C級といったところだろう。よって、笑いどころもオチも無い無味乾燥なものとなるやもしれないが、C級妖怪の一人として、6巻発売の喜びを本稿で述べたい。

 

簡潔に述べると、6巻もゲラゲラ笑わせてもらえた。僕は大変満足している。

 

ぼざろの何が良いかというと、とにかくギャグにキレがあることだ。というか、ぼざろはきらら系列の漫画にしては結構珍しいくらい主人公へのアタリがキツい。『ななどなどなど』もかなりキツめだが、アレを超える勢いでアタリがキツいのがぼざろの最大の特徴だ、と個人的に思う。

 

そのキツいアタリが、剃刀のような切れ味となって幾度となく我々の腹部を襲う。実にギャグマンガ然としている。「ドラクエの映画を観に行ったら説教された」など期待と異なるものが提示される恐ろしい事例がまかり通る昨今、読者の期待に真っ向から応えてくれる作品には敬意を表さざるを得まい。

 

ここでは「いつも通りのキレ」の例として6巻冒頭のお話を挙げよう。

 

 

星座になる前に授業はちゃんと受けろ

 

このお話は結束バンド唯一のまともな人(ぼっち談)、虹夏による驚愕のセリフから始まる。

 

「えっ! ぼっちちゃん 今日も追試でバイト休み……!?」

 

中高生が主役の作品において、親近感を抱いてもらうために「成績は中の下くらい」という設定が施されることはそう珍しくはない。しかし、ぼっちこと後藤ひとりは少々飛びぬけている。

 

「今回の追試合格しなかったら ひとりちゃん留年なんですよ」

 

喜多が笑顔で述べるこのセリフは存外闇が深い。1巻の頃からぼっちは「バンドマンに学校の成績は必要ない」とのたまっていたが、このお話では「留年」という言葉が現実味を帯びてきたことに流石に焦燥したらしく「あっへへ」と死んだ目で脂汗を流していた。そこには可愛さなど微塵もない。

 

ここまで学業に追い込まれる漫画は割と珍しい気がする。

 

他にもこの話のぼっちは

 

  • 四度目の追試でも12点しか取れない
  • 退学を決意する
  • 後輩と纏められて追試を受けさせられる
  • 後輩も留年させようとする
  • 後輩に「うるさいです」とマジレスされる
  • 追試中に妄想の世界に突入して後輩に引かれる

 

と散々な醜態を晒しており、自分どころか他者をも蹴り落そうというその根性はハッキリ言うとクズのそれであった。仮にもきらら系列漫画の主人公(ヒロイン)であるというにもかかわらずのダメさには目を見張るものがあると言えよう。

 

この「ぼっち(の性格)を可愛く描こうとしていない」ところ、個人的には実にベネである。

 

そも、ぼっちは1巻から徹底してヨゴレ役である。「狼狽して顔のパーツがぐちゃぐちゃになる」「ライブ後に吐く」など、物語を牽引するヒロインとしてはかなりラインぎりぎりを攻めている。いや「可愛い」と思えるシーンよりも「ひでぇなこいつ」と感じさせるシーンの方が多いのでライン越えしてしまっている気もする。ヒロインとしてはボボボーボ・ボーボボのビュティの方がまだマシな扱いを受けているだろう。どうかしている。

 

 

忘れてやれない

 

ここまでぼっちのみを取り上げてきたが、言うまでも無く他のキャラクターも大概だ。

 

酒クズの廣井、金にルーズなカスの山田、ライブの打ち上げにハブられる対人関係難アリの大槻――二次元美少女であろうと許容できない絶妙なイヤさが彼女らには存在する。特に山田は本当にどうにかすべきだ。彼女にきゃあきゃあ言うのが喜多ではなく日向に変わってきているのが何かしらの予兆を感じさせる。

 

だからこそ、なのかもしれない。こうした数多くの恥の中にあるからこそ、後藤ひとりの主人公らしさ――ヒーロー性が際立つのかも知れない。

 

何かのインタビューで、アメコミ界の大御所スタン・リーは、「ヒーローとは何か?」という問いに対し「自分を捨てても他人を救う人」という定義を述べていた。この定義に照らし合わせると、家出した喜多と共に喜多家へ向かったぼっちは間違いなく『ヒーロー』である。彼女は喜多の未来を想い、胸中を想い、口調強めの喜多母と交渉してみせた。対人恐怖症一歩手前というステータスを考慮すると、これはぼっちにとってかなり苦しかった筈だ。

 

この『決めるべきところでは確実に決める』姿は、冴羽獠や我妻善逸を彷彿とさせるヒーロー性を持つ。

 

キャラクター造型という観点から述べると、ぼっちの各種奇行はこのようなヒーロー的側面を際立たせる『陰』として恐ろしい程に機能している。それが後藤ひとり、ひいてはぼざろという作品自体の魅力に昇華されているのかも知れない。

 

……。

 

……いやどうかな。ここまで書いておいて何だが、結局のところ僕個人としてはそこまでぼっちのヒーロー的行動を見たいわけではない気がする。気がしてきた。

 

多くのダメ人間が登場し、奇行を繰り返し、それらに伊地知姉妹が辛辣なツッコミで応対する。四コマ漫画として四コマ目に落とすだけでなく、場合によっては二コマ目で既にオチている。そういうキレッキレのフォークボールのような漫画だから、僕は本稿の冒頭で「ゲラゲラ笑った」と述べたのではないか。

 

アニメが放映され、ぼざろの認知度は格段にあがった。だが、これからも「可愛さ」だけでない毒のあるギャグを続けていって欲しい。一読者、C級妖怪として心からそう思う。

 

アニメ2期と7巻、お待ちしております。

 

 

 

 

以上、

 

【ぼっち・ざ・ろっく!】 ギターヒーローに見るヒーロー性

 

の項を終わろうと思う。ここまで読んでいただき有難うございました。