【ソロモンの偽証(WOWOWドラマ版)】 ソロモンのうそつき! 今日は遊園地に連れてってくれるって(以下略
実はソロモンのことをあんまり知らない。
若い頃は仕事ばっかりで……家庭になんて全く目を向けなかった
時期的には結構前の話になるのだが、宮部みゆき原作『ソロモンの偽証』を観た。
AmazonPrimeだったかなんだったか忘れたけど、サブスクサービスで配信されてたのを家族が見つけたのだ。
家族が再生ボタンを押した時、僕はこう思った。
「うわ絶対暗いやん」
宮部みゆき作品は学生時代に結構読み漁ったのだけど、基本的に暗い話が多かった記憶がある。個人的には『クロスファイア』がかなり好きだったのだけど、あれも相当暗い話だった記憶が何となくある。間違ってたらごめん。誰に謝ってるのか分からんけど。
で、結論から言うと、その認識は概ね間違ってはいなかった。だが、このWOWOWドラマ版に関しては正確ではない。
正しくはこうだ。
「迫力がある」
その結果がこれです。ダメな父親ですよ……
このお話、軸は非常にシンプルだ。
「男子生徒が屋上から落ちて死んだ。あの日、なにがあったのか?」
いじめを苦に自殺したのか。いやいや誰かに突き落とされたのでは。いやいやいや事故死では? 様々な疑惑と絶妙にイヤな感じの登場人物が現れては場をかき乱していく。徐々に落下死した男子生徒の素性や性格まで物語冒頭で提示されたものとは様子が違ってきて――と、ここまでならそこそこよくあるタイプのミステリなのだが、本作の目玉になるのはやはり『学校内裁判で真実を明らかにしよう』という展開だろう。
学級裁判ではない。それはダンガンロンパだ。霧切さんは可愛い。
裁判といっても、その結果が何か司法判断に用いられるわけではない。本作の主人公はあくまでも「自分たちの真実を見つける」ために学校内裁判を開催する。
その裁判を巡って――いやその裁判の決断前も――とにかく出演者が皆、精気を振り絞っている。そこには鬼気迫る雰囲気があった。
お話自体の力もあっただろうけれども、とにかく僕はその、俳優さんたちの名演、怪演、力演に目を奪われた。冗談抜きで「奪われた」のだ。鍋の具に箸を近づけたところで、あまりの演技に思わず視線を奪われたことを鮮烈に覚えている。
ぶっちゃけ、僕は暗い話が苦手だ。嫌いでは無いのだが、疲れた時などにウキウキ気分で観ようとは思わない。にもかかわらず、『ソロモンの偽証』にはしてやられた。赤ん坊や小さい子供は泣くんじゃないだろうか。それくらいの迫力だった。
結局、勢いにやられて最後まで観ることになったわけだけど、凄い作品だったと思う。WOWOWドラマ班の皆様には敬意を表したい。
……。
……という感想を書こうと思って二十日以上が過ぎた。凄い演技だった! というだけでも語りたかったのだけど、なんかこう、自分の中で消化しきれないものがあったのだ。
何が消化しきれなかったのか。薄々感じてはいた。
それは「タイトルの『ソロモンの偽証』ってどういう意味なんだろう」ということだ。
いいや……あんたは立派さ。立派な父親だ
自分なりに考えようとしたのだけど、結局タイトルの意味は分からなかった。よって僕は集合知に頼ることにした。
所謂、ネット検索である。ネットの海は広大で深い。すぐに答えらしきものが見つかった。
とあるブログに書かれていたのだが、他でもない原作者宮部みゆき氏が雑誌の取材か何かで語っていたそうだ。何でも「(ソロモン王のような)絶対的な権力者が嘘をついている」という感じの意味らしい。
成程。
この物語の主人公は女子生徒だ。彼女は学校が提示する『男子生徒の死は事故死で、いじめを苦にした自殺などでは一切ない』という説明に疑問を抱く。これを機に学校内裁判という展開へ繋がっていくわけだが、子供にとって親や学校は絶大な権力者であり、基本的には信じるしかない(というより信じた方が楽な)存在だ。そういったものが嘘をついている……ふむ……何という秀逸なタイトル……。
……。
……先に述べた通り、学校内裁判は「真実『らしきもの』を自分たちで見つけ出そうとする生徒主導のイベント」であり、そこに司法的な制裁は一切無い。いや実際に他殺ということで彼らが納得したらそれはそれで私刑的なものが発生するかもしれないし、実際、物語の終盤ではとあるキャラクターが警察に連れていかれることになるのだけれど、少なくとも学校内裁判は「参加者たちが納得するため」に開かれる。
ソロモン(≒親や学校)という大きなものの意見を鵜吞みにせず、自分たちで「真実はこうだ」と見定めるための裁判。これはつまり、『「常識」や「社会」が何と言おうが、結局のところ信じるべきものは自分で見つけなければならない』――というテーマであるようにも思える。
……。
……仮にこのテーマが内包されているとしよう。僕にはどうしても気になることがある。
真実って、そんなに価値のあるものなんだろうか?
お前らは誰やねん
学校内裁判を開くにあたって、主人公は様々な困難に直面する。
「面倒だしやりたくない。ってか学校が事故って言ってるならそれでよくない?」という同級生たち。
「ヘンなことを言ってウチの子に付きまとわないで! 二度とウチに来ないで!」と罵声を浴びせてくる関係者の親御さん。
「裁判なんてやらせるわけないでしょう! 馬鹿なこと言ってないで勉強してなさい!」みたいな教師陣。
他にもなんか、色々。そういう妨害を超えて学校内裁判は開催に至り、主人公たちは真実を見つけ出すことになる。
言い方を変えよう。
そこまでの多大な苦労、掛けた時間、不愉快の見返りは『真実』と『納得感』だけだ。
徒労、とまで言うつもりはない。だが本当にそれは必要なコストだったのか? 必要な体験だったのか? となると、僕個人としては疑問を感じずにいられない。
だって、社会は嘘塗れだ。学校だって職場だって行政機関だって華々しいステージだって、何もかも嘘が無いと立ちいかない。体裁、と言ってもいい。
傷ついて重荷を背負って多大なストレスを追う。それが必要な機会は人生において度々発生するものだと思うし、その「必要な機会」というものが、主人公にとってはこの学校内裁判だったのだろう。それも分かる。分かるのだが、本当に主人公が傷つくべきタイミングは「ここ」だったのか? もっと大人になって、それから打ちのめされるとかでも良かったのではないか。他の多くの同級生たちのように「自分たちには関係ないから」と見て見ぬふりをしても良かったのではないか。
「同級生の死」に真摯に向き合おうとした主人公のような者が苦労をし、なじられ、その他の者たちは終盤までへらへら笑っている。
更に言うと、この物語はフィクションである。つまり嘘だ。俳優さんたちの迫力のある演技によって真に迫っているけれど、やっぱり嘘なのだ。
その嘘の世界においてすら傍観者は気楽で、当事者は苦しんで藻掻いて心を摩耗させる。その先にある、とても綺麗に思える「真実」とやらを掴むために。
それが何というか、つらい。
最善の策は……そもそもそんな状況を作らないこと、つまり『ソロモンの偽証』を検証できる仕組みを作って運用することなのだと思う。ただやっぱりそれも現実的ではない。親子だって嘘をつく。本当のことを話さない。そんな中で権威に嘘をつくなといっても「お前にそれを言う権利があるか?」って話ではないか?
どこまで行っても、正直者は馬鹿を見続けるのだろうか。人をあしらってわらっていなしてフワフワ生きてる方が楽なのだろうか。
ものすごーく主観的な意見であることは重々承知なのだけれど、そんなことを色々と考えてしまう。
やっぱり、この作品は「暗い」のかも知れない。そんな風に思う。
以上、
【ソロモンの偽証(WOWOWドラマ版)】 ソロモンのうそつき! 今日は遊園地に連れてってくれるって(以下略
の項を終わろうと思う。ここまで読んでいただき有難うございました。