どろらい?

小説とか絵とかを創ってる同人サークル『DrawingWriting』の小説担当が、目についた映画とか小説とか漫画とかアニメとかその他諸々な文化的生活に重要な娯楽について語る無駄グチブログです。

【ダンジョン飯】 悪魔による呪いの正体を考察(妄想)する~ライオス、ケモナー疑惑~

ちょっと下ネタ気味なのと本編ネタバレ全開なので苦手な方は戻った方がいい。

 

そのうち味も知りたくなった

 

2023年12月。2023年12月! キリストが生まれてから実に24,276回目の月の満ち欠けを経て、人類にとっての大きな節目となる出来事が起きた。

 

そう、『ダンジョン飯』の最終巻刊行である。

 

あまりにも偉大な物語、その一つに公的な終止符が打たれる。この歴史的瞬間に立ち会えたことを誇りに思う。雑誌の方ではもっと前に終わってたとか、まだ2024年2月に冒険者バイブル完全版が出る予定やんとか、そういうご意見も多々あることだろうが、今はひとまずこの名作をひたすら称えたい。ダンジョン飯、ああダンジョン飯

 

この壮大かつどこか間の抜けた奥深い冒険物語の終局を見届けるにあたり、私は久々に一巻から通して読み直し、同時発売された十三、十四巻(最終巻)に突入していくという儀式を敢行した。結果として結構忘れているお話やキャラクターもあり、この儀式は功を奏したと言える。そして……最後のページを読み終え、深い感慨、感動に身を包まれながら、ふと思った。


悪魔がライオスにかけた呪いは、本当に『魔物に触れ合えなくなる』というものだったのだろうか。

 

ライオスが命の危険を賭してダンジョンに潜り、竜を倒し、魔術師を倒し、更に悪魔とまで戦ったのは、本人も言っていた通り『妹を救うため』だ。それよりもなお上位に来る願いが『魔物との触れ合い』というのは、個人的にはどうにも首肯し難い。極端な話、「妹が死ぬ代わりに魔物と永遠に仲良くできる権利をやろう」と言われたら、ライオスはその誘いに乗るだろうか?


僕は、乗らないと思う。

 

では、と考えた。では――仮に私の考えが的外れでは無かったとして――悪魔が見抜いたライオスの『今一番の願い』とは、なんだったのか。

 

こうは考えられないだろうか。叶わなくなった願い。それは願いというより、もっと本能的なもの――家族の命より、知識欲より、もっともっとプリミティブなもの――つまり、欲望と呼ぶべきものだったのではないか。


例えば――そう、例えば。



 

『永遠に性的な満足が得られない』――とか。

 

 

 

悪魔が見抜いたライオスの『今一番の願い』。その真実を、この稿では考察(妄想)してみたい。

 

 

マルシルって今 何歳?

 

前述の読み直しの途中、不思議に思ったシーンがある。第六十話『有翼の獅子』の冒頭だ。

 

ここでライオスはマルシルに化けたサキュバスの罠に引っ掛かり、精気を吸い取られてしまう。結果だけ見れば彼は他の仲間と同様、サキュバスに『負けた』ことになるわけだが、一方で明らかにライオスだけ異質な点がある。

 

彼だけがサキュバスに魅了されていないのだ。

 

チルチャック曰く、サキュバスは「自分でも知り得ない深層心理を読」む魔物らしい。実際、イヅツミがいなければパーティはサキュバスによって全滅させられていたわけだが、そのイヅツミでさえサキュバスの変身には一瞬硬直した。しかし、ライオスはそうではない。彼は『サキュバスに近づき』、『言葉を交わし』、更に『相手の首を掴んで剣に手を掛けて』すらいる。

 

この反応は異様だ。ライオス自身が述べる通り、サキュバスは「1対1ではまず勝てない」魔物である。にもかかわらず、あと一歩というところまでライオスはサキュバスを追い詰めている。「見ただけで腰が抜けるほど好みの姿で現れる(by チルチャック)」ハズの魔物を、だ。

 

無論、サキュバスの化けた相手が仲間であるマルシルだった――つまりライオスにとっては普段から目にしている相手だった――ことも大きいだろうが、サキュバスにとって魅了という手段は「これ一本で食ってる(by ライオス)」確度の高い手段なのだ。そんな存在が、果たして獲物を無力化出来ない可能性のある選択肢を採るものだろうか?  僕にはそれがどうにも不思議でならなかった。

 

何故、サキュバスはライオスに対してマルシルの姿を取ったのか?

 

二つの仮説を挙げよう。

 

まず『あらゆる選択肢の中でマルシルの姿が最もライオスに対して効果的であった』というもの。

 

前提として、ライオスがマルシルに好意を抱いているのは作中の様々なシーンで描写されている。例えば第五十七話『兜煮』におけるライオスの走馬灯ではマルシルとの出逢いが真っ先に描かれたし、第九十六話『ファリン -4-』では彼女を守るためにカナリア隊へ攻撃的な宣言を突きつけてもいる(第三十八話『キメラ』でのシュローとの喧嘩でも分かる通りライオスは基本的に相手の要求や意見を聞くタイプであり、一方的に意見を述べて去るのは極めて稀だ)。それを含めて考えると、サキュバスがVSライオスにあたってマルシルの姿を取ることはあながち間違いではない……ように思える。

 

ただ、この説は「それで倒せるなら『1対1は絶対に無理』とまで言われることは無くない?」という反論によって捻じ伏せることが出来る(イヅツミは稀有なケースであるのでここでは除外する)。よって、説としては少々弱い。ように思う。

 

そこで、二つ目の仮説だ。『ライオスを魅了出来る姿を読み取るまでに時間が掛かった』――これならどうだろう。

 

先に述べた通り、サキュバスはライオスにほぼ殺される手前まで追い詰められたが、その後に言葉巧みに彼を説得し、最終的にギガヘプタヘッドマルシルへ再変化することでライオスを食らっている。また第五十九話『サキュバス -2-』ではイヅツミの母親に変身した後、イヅツミの半身が望む相手に変化するという多段作戦を繰り出した。更に言うと、『相手の欲望を読み取る』というサキュバスの性質は悪魔のそれに近しいものがあり、その悪魔もまた「迷宮の底に近づ」かないと相手の欲望を読み取れないようだ(第六十話『有翼の獅子』の翼獅子のセリフより)。よって、この説は作中の描写と齟齬の生じない、有力視できるものと考えて良いだろう。

 

なおイヅツミの例でも分かる通り、サキュバスは決して獲物の性的対象だけに変化する魔物ではない。ただライオスの場合、ギガヘプタヘッドマルシルに近づかれて顔を真っ赤にしているので――話を総合すると、『ライオスが深層心理で望んでいる(恐らく無自覚の)性的理想像はギガヘプタヘッドマルシルである』ということになる。

 

以上より、一つの結論を導くことが出来る。

 

 

 

 

ライオスはケモナーだ。

 

 

奪う覚悟と奪われる覚悟だ

 

「いやいやちょっと待て」と思われる方も居られることだろう。「それは違うんじゃないか」と。気持ちは分かる。最初、僕も同様に考えた。何故なら本編中に明確な反論材料がある。具体例を挙げよう。第四十一話『山姥』だ。

 

ここでライオスはイヅツミと接点を持つことになる。彼女は半獣半人の女性だ。しかし、ライオスが彼女に魅了されたようなシーンは一切無い。ケモナーなら何かしら反応があって然るべきだろう? それが無いってことは――と、そう思った……のだが、後に思い直した。

 

甘いのだ。その認識は甘い。

 

一口にケモナーと言っても色々ある。頭に耳を乗っけた美少女キャラで満足する者も居れば、より獣に近い――というより獣そのものにしか性的興奮を抱けない者も居る。げに欲望は幅広く奥深い。よって単にイヅツミがライオスの好みに合わなかっただけ、という可能性は十二分にあり得る。

 

以降は完全な妄想だが、恐らくライオスの好みの条件は二つあるのではないだろうか。一つ、単なる獣ではなく『魔物』であること。二つ、髪が長いこと。後者は第九十六話『ファリン -4-』で散髪を検討するマルシルに明らかな落胆を覚えていることからも明らかだ。いや、『髪の長いマルシル』が好みなのか? この辺は卵が先か鶏が先かみたいな話になってくるので何とも言えない。よってここではこれ以上は突っ込まない。一方、前者についてはちょっとそれっぽい理由をつけることが出来る。

 

まず第八十八話『翼獅子 -3-』。ここでライオスは悪魔に「君は人間が嫌いだ」と断言されている。「人間は退屈だ」という指摘に「全部筒抜けか」と認めてさえいる。人間が嫌いなのであれば……性的対象が獣や魔物になってしまう可能性は否定できない。

 

次に、彼の異常なまでの知的好奇心。これは心理学でいうところの昇華(満たすことが出来ない欲望を別の形に転化すること)にあたるのではないだろうか。第七十話『シスル -3-』にてライオスはドラゴン3体に追い詰められても生還したわけだが、それを成し遂げる(咄嗟の状況でも必要な知識を取り出せる)状態というのは一朝一夕で身に付くものでは無い。きっとライオスは幼少期から青年に至るまでの期間、魔物に関する様々な本を読み漁ったのだろう。逆に言うと彼が欲望を満たせない状況はかなりの長期間続いたと考えられる。では彼が昇華させざるを得なかった欲望とは? 漠然とした内容なので答えは幾らでも思いつくだろうが、逆に言うと、ここに「魔物への性的欲求」を嵌め込んでも作中描写との齟齬は生じない。

 

最後に、人間関係を見てみよう。第五十六話『バイコーン』にて、チルチャックは本編以前のライオスパーティを思い浮かべている。ここでは恋愛至上主義であったらしき『婚活女』というゆるふわな容姿の女性キャラクターがライオスにハートマークの矢印を向けていることが分かるが、反対にライオスから当該女性への矢印は無い。単にその女性への興味が無かったのか、タイプじゃなかったのか……真相は定かではないが、「人間の女性へのアピールを意にも介していない」という点だけを見ると、ケモナー(まもナー?)っぽさを垣間見ることが出来るような気がしないでもない。

 

さて、ここまでライオスケモナー説を補強する材料として彼の好みにまで言及して来たわけだが、どうだろうか。一つ一つは小さく、根拠としては弱いものであっても、積み上げればそれなりに「らしい」説と考えられるような気がしてきたのではないだろうか。

 

そしてライオスが本当にケモナーであれば――悪魔の呪いの正体は実にえげつないものとなる。ライオスは永遠に失ったのだ――自分の嗜好に沿った存在そのものへの接触を。その機会を。二十六歳の健康な男性にとって、それはどれだけの苦痛となることだろう。賢明なる読者諸兄も想像して欲しい。お気に入りのあれやこれやにある日突然二度と触れられなくなるという恐怖。余りにも酷い。これなら渾身の力を振り絞った悪魔の呪い(=いやがらせ)としても充分に納得がいくのではないだろうか。

 

甘い。

 

甘いのだ。その認識は甘い。

 

ここでとある専門書を取り出してみよう。その名は『ダンジョン飯ワールドガイド 冒険者バイブル』。所謂公式ガイドブックだが、おまけ漫画や書下ろしイラストが多数で大変素敵な一冊である。心の底から買って良かった――とそれは置いといて、この本の5ページにライオスについての興味深い記述がある。

 

5.恋愛禁止

過去に仲間といい仲になりかけて、パーティが解散の危機に見舞われた~(以降略)

許嫁とは一度会ってカワイイと思っていたが~(以降略)

 

ならライオスはケモナーじゃないじゃん

 

※ちなみに第五十六話『バイコーン』でチルチャックが思い浮かべたライオスパーティは、あくまでもチルチャックの解釈に基づくものだ。よって『冒険者バイブル』の記述とも矛盾はしない。

 

今日は何を食べようか

 

というわけで、本稿で考察したライオスケモナー疑惑は公式ガイドブックによって論破された。だったらこの稿は一体何だったんだという話になるがまぁそれは良かろう。

 

結局のところ、悪魔の呪いの正体は『魔物に触れ合えなくなる』――というより『ライオスが夢見た≪魔物との共存≫の道を潰した』ということなのだろうと思う。第六十話『有翼の獅子』では、翼獅子によってライオスが望んでいる世界を垣間見ることが出来たが、それをそのまま叶わぬ夢としたのだ。一度見せられた夢を、冒険を通じて明瞭になった夢を、絶対に叶わぬものとして彼方へ投じられる――それは死を受け入れる度を経たライオスにとって、確かに『今一番の願い』だった。

 

これは繰り返しになるが、仮に「妹が死ぬ代わりに魔物と永遠に仲良くできる権利をやろう」と言われたら、ライオスはその誘いに乗るだろうか?


僕は、乗らないと思う。

 

何故なら、ライオスは既に決めたからだ。奪われる覚悟を――妹を失う覚悟を。だから、誘いには乗らない。例え妹が蘇生できなかったとしても、それを受け容れる。冒険を経て、そういう強さをライオスは得たのだと思う。

 

 

 

 

ダンジョン飯』――本作は『食』というテーマを軸に人間の欲望を様々な角度から描いた紛れもない名作だと思う。ついでに言うと、本稿のようなしょうもない思考ゲームが出来たのも楽しかった。いつかまた通しで最後まで読んで――また感動を受け取れたらいいなと思う。

 

この作品に出逢えたこと、読了できたことを幸せに思いながら、本稿を終わりにしたい。

 

 

 

以上、

 

ダンジョン飯】 悪魔による呪いの正体を考察(妄想)する~ライオス、ケモナー疑惑~

 

の項を終わろうと思う。ここまで読んでいただき有難うございました。