どろらい?

小説とか絵とかを創ってる同人サークル『DrawingWriting』の小説担当が、目についた映画とか小説とか漫画とかアニメとかその他諸々な文化的生活に重要な娯楽について語る無駄グチブログです。

【インディ・ジョーンズと運命のダイアル】 部屋とYシャツとインディ・ジョーンズと私

 

!注意!

本記事は只の感想文であり、【インディ・ジョーンズと運命のダイアル】のネタバレを含みます。ご注意を。

 

 

全人類の殆どが興味ない序文

なんか色々疲れてしまっていたけど、ちょっと気が向いたので記事を更新してみる。最期に記事を公開したのが2020/12/31なので、およそ2年半ぶりのブログ執筆だ。

※2023/12/22追記:色々あって過去の記事はすべて非公開にしました

 

凝った記事にしようとすると全然書けないので、とにかくシンプルに書こうと思う。テーマは掲題通り、インディ・ジョーンズについて。

 

令和になってインディ・ジョーンズの新作が観れるなんて

 

『冒険』と聞いてインディ・ジョーンズを思い浮かべる人は、この令和の世に果たしてどれくらい居るのだろうか。

 

何となくだけど、ほとんどの人は『ONE PIECE』を思い浮かべる気がする。

 

アンチャーテッド』を思い浮かべる人もそれなりに居そうだ。

 

ナショナル・トレジャー』を思い浮かべる人は……あんまり居ないか。

 

高橋名人の冒険島』を思い浮かべた人は、そのままの貴方でいて欲しい。

 

僕はと言うと、どうしても若かりし頃に観た『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』が脳に焼き付いているせいか、冒険=インディの図式がこびりついている。だから前作『クリスタル・スカルの伝説(2008年公開)』から15年経った今の世にインディ・ジョーンズが現れるなんて思いも寄らなかったし、何かもう観れるだけで嬉しかった。

 

少なくとも映画公開初日に観に行くくらいは浮かれた。

 

友人を誘って観に行った。そして映画館前で待ち合わせ、上映時間になるまでブラブラしていた時に初めて知った。その友人がインディ・ジョーンズシリーズを観たことがないということを。

 

こうして、期せずして僕は『インディ・ジョーンズに脳を焼かれた人間』と『そうでない人間』の違いを思い知ることになったのだ。

 

あらゆる脳筋プレイが只々愛おしい

 

映画館で僕は興奮していた。そこには15年前に観た『クリスタル・スカル』――いや数年前にアマゾンプライムか何かで『魔宮の伝説』か『レイダース』辺りを観た記憶がホンノリあるな――まぁ細かいことは置いといて、とにかく僕の良く知るジョーンズ博士の姿があった。

 

相変わらず、彼は聡明であった。

 

一方で考えなしに悪人を殴り飛ばしたり、「落ち着け」って言われてるのにガン無視して派手なアクションをしたり、ナチスと戦ったり、捕まったり、逃げたり、カーチェイスしたり、逃げたり、捕まったりしていた。

 

とんとん拍子に謎を解き、2000年間という眩暈がする程の長期間、どの考古学者も発見出来ていないアルキメデスの墓を見つけ出した。

 

あろうことかタイム・スリップした。

 

最高だった。全てが最高の体験だった。老いていようと息子を失くしていようと(シャイア・ラブーフ……)、謎パワーアイテムを巡る冒険の中で見せる逞しさは健在であり、ジョーンズ博士ここにありという気持ちで一杯になった。

 

僕はスタッフロールが流れ切った後も暫くスクリーンを凝視していた。世紀を跨いでも変わらない、インディ・ジョーンズという男の冒険を僕は観たのだ。

 

満足だった。

 

隣に居た友人が言った。

 

「粗、多くね?」

 

バカヤロウ、それがインディ・ジョーンズ

 

「指名手配されてた件はどうなったの?」

 

なんかうまいこと落ち着いたんだろう。インディだし。

 

「でも犯人はアルキメデスの時代に置き去りだよね? 警察に説明しようがなくない?」

 

でもなんかうまいこと落ち着けたんだろう。インディだぞ。

 

「謎を解いて尾行されて横取りされて、が数回あったような気がするけど、いくら何でも考えなしが過ぎないか?」

 

ナショナルトレジャーも大体そんな感じやぞ。

 

「あのヒロインがどうしても好きになれなかったんだけど。ラストの『ナチになんてなるからよ!』は酷すぎない?」

 

それはそう。

 

「もしかしてこのシリーズって大体こんなノリ?」

 

一作目からナチスの潜水艦に引っ付いたまま海を渡ってたから、うん、まぁ、そうだね。

 

 

応答を繰り返しながら僕は思った。

 

 

僕は自分でも思ってた以上に「インディ・ジョーンズだから」という理由で映画を楽しめているんだな、と。

 

何を信じるかではない。何を、どれだけ信じるかだ。

 

劇中、インディは言う。

 

「自分は魔力というものを信じない。だが、不思議な現象に出会ったことはある」

 

この一言を聞けただけでも、僕は公開初日に映画館へ足を運んだ意義があったと思える。

 

聖櫃。聖杯。宇宙人のなんかよく分からん装置。ブードゥのよく分からん呪い。そういったものに出会ってきた事実を「科学的ではないから」という理屈で無かったことにするのではなく、かといって「魔力はある!」と思考停止するのではない。

 

彼はどこまでも考古学者なのだ。証拠を積み重ね、立証できるものを論ずる。そして恐らく、説明が出来ない事実にも、いつか説明出来る時代が来るだろうと信じている。

 

素早い判断。深遠な知識。卓越した体術。ピンチにあってもユーモアを忘れない豪胆さ。そして学者としての理念。詰まる所、僕は『インディ・ジョーンズ』シリーズを通して、インディ・ジョーンズという人物を敬愛した。尊敬した。憧憬したのだ。

 

盲目的と言われてもいい。信者と言われてもいい。他の映画だったら真っ先にツッコむだろう要素だらけだろうと、他者にどれだけ「B級」「追いかけっこだらけ」と言われようと構わない。

 

僕はインディ・ジョーンズという映画が好きだ。

 

好きと言える映画がある。それは幸せなことではないだろうか。

 

 

で、ぶっちゃけおススメ出来る?

 

論理的整合性を求めるヒトやガチガチのミステリーが好きなヒトにはおススメしづらいなぁとは思う。ぶっちゃけ。

 

どこまで行ってもファン向けな作品――と評するのが妥当ではないだろうか。何せ友人も言っていた通り粗が多い。「細けぇことはいいんだよ」というノリと勢いが受け入れられる人にとっては最高だが、そうでない人にはおススメ出来ない。多分、そういう人は粗が多すぎてお話に入り込めない可能性が高い。

 

だが。

 

過去にシリーズ作品を観て、インディ・ジョーンズという人物の活躍に胸を躍らせたことがある人には。矢継ぎ早に訪れるピンチと逆転に興奮したことがある人には。そして、遠い昔から隠されてきた神秘を信じたい気持ちがある人にならば。

 

僕はこの映画をお勧めするだろう。

 

「難しいこと考えなくていいから観ようぜ。最高に面白いから」と。

 

 

以上、

 

 【インディ・ジョーンズと運命のダイアル】 部屋とYシャツとインディ・ジョーンズと私

 

の項を終わろうと思う。ここまで読んでいただき有難うございました。